紅花や上方文化で栄えた豪商の面影を蔵にみる
珍重された山形の紅花
戦国大名・最上義光時代に城下町が形成され、江戸時代は紅花商人のまちでもあった山形市。当時、江戸時代から明治初期まで赤く染める染料はほとんどなく、口紅や着物染めの原料となる紅花は珍重された。東北各地で栽培されていたものの、とりわけ村山地方の紅花(最上紅花)は品質が良いうえに生産量も豊富で、全国的にも知られた産地だった。紅花は最上川舟運、日本海西廻り海運に乗せられて、その多くがはるばる京都へと渡った。
紅花商人のまち、山形に残る“蔵”
<山形市><河北町><中山町>
今でも山形市には紅花商人たちが活躍した頃の面影を、街中を歩くだけで見ることができる。それが各地に点在している“蔵”だ。これは上方文化の影響で蔵座敷や店蔵が建てられたためで、ふと見上げると街の至るところに趣き深い蔵が並んでいるのだ。紅花がもたらした文化は、このように人々の生活に色濃く反映されている。
さらに各地の豪商の家にも蔵座敷が多い。河北町にある「紅花資料館」は、かつて近郷きっての富豪だった堀米四郎兵衛の屋敷跡で、展示されている建物が蔵づくり。また中山町にある「柏倉家住宅」は、江戸中期に山形藩の支配下で大庄屋つとめた豪商で、こちらにも蔵座敷がある。そしてこの豪商たちの家には、紅花などで得た利潤で贅を尽くして収集した、可憐な古代雛たちが揃うのも特徴だ。
カフェ 「オビハチ」
明治以降も多くの蔵が造られた。今ではその蔵を利用したお店もあるほど
紅花資料館
紅花の集積地でもあった河北町谷地では、雛まつりが盛んに行われている
柏倉家住宅
上方風の蔵座敷が残され、数少ない土蔵造りの仏間が保存されている
ひなの隠れ家 慈恩寺陣屋
ひなの小道美術館があり通年展示されている。和食レストラン・イタリアンカフェもあるのでちょっと休憩に
水の道、最上川
文化を運んだ最上川
<大石田町>
『五月雨を あつめて早し 最上川』と芭蕉に詠まれた最上川は、富士川、球磨川と並び日本三大急流のひとつ。米沢から酒田まで県内を巡るように流れ、江戸時代に最上義光らによって上流から河口までの航路が開かれると、すぐに主要な輸送路として活用されはじめた。川の水は流域の土地を潤し、米や果樹といった県の代表的な農産物や産業を育み、各地で生産された果樹、織物、紅花、漆などの特産品は最上川舟運で酒田まで運ばれると、北前船に乗せられて遠方の地へ、売りさばかれた。その帰りの船には、雛人形・古着・仏像・食文化などが積まれ、経済だけではなく「最上川は文化を運んできた」と表されるほど大きな影響を与えた。雛もそのひとつというわけである。
当時、最上川沿いには舟番所が多く、町が栄えていた。その中心河港として挙げられるのが大石田町だ。川沿いには、かつて多くの舟運が往来した繁栄を彷彿とさせる塀蔵が並ぶ。その美しい白壁が川面に映りこむ景色はまさに圧巻の一言。
その姿を横にして最上川は庄内へと向かっていく・・・
人々の生活に大きく関わった最上川は「母なる川」と呼ばれている。
最上川の土塀
当時を再現して造られた白壁の土塀は、繁栄を偲ばせるかのようだ
民家の雛まつり
地域によっては雛人形を一般の家々に訪問して見ることができる