とにかく強烈だった山形弁 県庁の指導課が学びの場
1981年、アメリカの大学を卒業して山形県に来ました。文部省(現・文科省)の英語指導主事助手という身分です。過去にも2回ほど日本に留学していた経験がありましたから、来たというよりは「帰ってきた!」という思いですね(笑)。過去の留学では、奈良、大阪、京都そして佐渡での滞在経験があり、そして山形。だんだん西から東に向かって移動してきたわけです。不安はありませんでしたが、一番ショックだったのは言葉です。あれほどまでに勉強した日本語とは全く違う言葉が出てくる(笑)。特に、じっちゃん、ばっちゃんの言葉が全然解らない!日本には、多少方言があることは知っていましたが、山形弁ほど強烈なものはありませんでした。職場だった県庁では指導課にいましたが、この部署には幸か不幸か県内各地から「先生の先生」が集まってくるため、村山弁、新庄弁、置賜弁、庄内弁…色々な言葉が聞けました。つまり、山形弁を勉強するには最高の場所だったのです。でも、最近は都会暮らしが長い(笑)ので、時々、山形弁が不自由になります。そんなとき、山形のじっちゃんやばっちゃんたちと話がしたいなあ…と、つくづく思いますね。